わたしの心を試されます。

私の心を試されます

――エレミヤ11–12章に学ぶ、試練の中で鍛えられる信仰――

はじめに

エレミヤ書11章から12章は、預言者エレミヤが「神と民との間」に立たされ、深い葛藤と苦悩を通して召命を練り上げられていく箇所です。ここには、信仰者が避けて通れない「なぜ」「いつまで」という問いと、それに対する神の応答が率直に描かれています。

1.契約が破られた現実と、祈れなくなる痛み(エレミヤ11章)

11章前半では、主と民との契約が破られたことが、通知書のように淡々と宣告されます。神は、エジプトの地から導き出した恵みを思い起こさせながら、民が自分勝手な心に従い続けてきた現実を明らかにされます(エレミヤ11:1–10)。

とりわけ重いのは、
「それゆえ、この民のために祈ってはならない」
という主の言葉です(エレミヤ11:14)。
祈ることが使命である預言者にとって、祈ることを禁じられるほどの断絶は、計り知れない痛みであったでしょう。

さらに後半では、エレミヤ自身が命を狙われていることが明かされます。
彼はこう告白します。

「私は、屠り場に引かれて行く、おとなしい子羊のようでした。」
――エレミヤ書 11章19節

エレミヤは、裁きを語る者であると同時に、民と共に苦難を負う者として立たされていたのです。

信仰的導き①
神に従う道は、必ずしも理解や安全が保証される道ではありません。しかし主は、その人の行いだけでなく、神に向かう心を見ておられます。結果ではなく、神に向かおうとする心そのものが、主の前で試され、覚えられているのです。

2.「なぜ」「いつまで」と問う信仰(エレミヤ12章)

12章に入ると、エレミヤはついに神に問いかけます。

「悪人の道が栄え、不真実な者がみな繁栄するのは何故ですか。」
――エレミヤ書 12章1節

この問いは、理不尽な現実に直面する現代の私たちの心にも、そのまま重なります。

さらにエレミヤはこう祈ります。

「主よ。あなたは私を知り、私を見、
私の心があなたに対していかにあるかを試みられます。」
――エレミヤ書 12章3節

神の答えは、慰めというよりも、挑戦とも言えるものでした。

「もしあなたが徒歩の者と競走して疲れるなら、
どうして騎馬の者と競うことができようか。」
――エレミヤ書 12章5節

それは、今見えている困難が終わりではなく、さらに厳しい現実が待っているという示唆でした。だからこそ、この段階でエレミヤの信仰と召命は、より深く鍛えられる必要があったのです。

信仰的導き②
私たちが「もう限界だ」と感じる時、神は状況をすぐに変えられないことがあります。しかしそれは、見放しているのではなく、次の段階へ進むための備えです。神は、私たちの弱さを知った上で、耐え抜く力と視野を与えようとしておられます。

3.裁きの中に差し込む回復の希望(エレミヤ12章後半)

12章の終わりには、裁きだけでなく、回復の約束が語られます。

「わたしは、彼らを抜き出したのちに、
再び彼らを憐れみ、
それぞれをその嗣業、その地に帰らせる。」
――エレミヤ書 12章15節

神の目的は滅ぼすことではなく、悔い改めを通した本当の回復です。厳しい言葉の奥には、変わらぬ憐れみが流れています。

信仰的導き③
信仰の歩みには、「引き抜かれる」ように感じる時があります。しかし主は、引き抜いたままで終わらせるお方ではありません。回復と再建の約束に希望をつなぐこと、それが信仰者の姿です。

おわりに

エレミヤ11–12章は、信仰とは「分からなくても従うこと」、そして「問いながらも神から離れないこと」だと教えてくれます。
主は私たちを知り、見て、心を試されるお方です。その試みの中で、私たちは主をより深く知る者へと造り変えられていきます。

祈り

主よ。
あなたは私を知り、私を見、
私の心を試されるお方です(エレミヤ12:3)。

理解できない現実の中で、
不公平に見える出来事の前で、
それでもあなたに問い、
あなたから離れない信仰を与えてください。

試練の中で私を鍛え、
主イエスの贖いを身にまとい、
あなたを現す者へと造り変えてください。

今日も、あなたの御手に自分を委ね主の御名によって祈ります。
アーメン。

一人でも多くの方が主イエスの愛に触れられて、新しいものにかえられますように、シャローム。


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