知恵とは畏れ、悟りとは選択 ヨブ記~今を生きるための内なる選び~

■■■混沌の時代に、真の知恵を求めて ■■■
環境危機や社会的不安、急激な技術革新、SNSによる情報の混乱など、私たちはいま、目まぐるしく変化する時代を生きています。正しい答えが見えづらく、人との関係すらも揺らぎがち――そんな現代の歩みの中で、「本当の知恵」とは何なのでしょうか。
古代の知恵文学でもある聖書『ヨブ記』には、こんな言葉があります。
「主を恐れること、これが知恵であり、悪から遠ざかること、これが悟りである。」 (28章28節)
一見遠く感じられるこの言葉は、現代の私たちの歩みに、深い示唆を与えてくれます。
~~~~~~では、このヨブ記とはどのような内容なのでしょうか。~~~~~~~
『ヨブ記』は旧約聖書の中でも特に深い問いを投げかける書物で、「なぜ正しい人が苦しむのか?」というテーマを扱っています。物語の流れをまとめたあらすじをご紹介します。
■■■『ヨブ記』のあらすじ ■■■
この物語は、単純な因果応報論では説明できないことを示しつつ、神との対話を通して人間の信仰と謙遜を深める構造になっています。
- 主人公ヨブは「ウツの地」に住む正しい人で、神を敬い、悪を避けて生きていました。彼は豊かな財産と10人の子どもに恵まれていました。
- 神とサタンの対話の中で、サタンは「ヨブが神を敬うのは祝福されているからだ」と主張し、神はヨブの信仰の真実性を証明するために、サタンに試練を許します。
- ヨブは次々と災難に見舞われます。財産を失い、子どもたちが死に、さらに重い皮膚病にかかります。それでもヨブは神を呪わず、「主は与え、主は取り去る。主の御名はほむべきかな」と語ります。
- ヨブの友人3人(エリファズ、ビルダデ、ツォファル)が訪れ、彼を慰めようとしますが、「苦しみは罪の結果だ」(因果応報説)と責め立て、ヨブとの間に激しい議論が起こります。
- ヨブは神にこの苦難を直接問いかけたいと願います。そこに第三者的な若者エリフが現れ、神の偉大さと人間の限界を語ります。
- 神が嵐の中から現れ、天地万物の創造の壮大さを語り、人間の理解を超えた神の計り知れない知恵と計画を示します。ヨブは沈黙し、悔い改めます。
- 最後に神はヨブを激しく因果応報であると攻め立てるだけの友人たちを戒め、ヨブのために祈るよう命じます。どのような試練をうけても最終的には神を信じ続けるヨブは再び祝福と豊かさを受け、子どもを授かり、長寿を全うします。 ====================================
この物語は、単純な因果応報論では説明と解決できないことを示しつつ、神との対話を通して人間の信仰と謙遜を深める構造になっています。

~~~~~~~では、どのような知恵と悟りを受け取れるのでしょうか。~~~~~
《畏れから始まる知恵》
ここで言う「恐れる」とは、恐怖心ではありません。むしろ、畏敬と信頼のまなざし。自分を絶対とせず、自分を超えた存在――神なるもの、あるいは正しさや真理の源への敬意と謙遜の姿勢を意味しています。
その態度こそが知恵の始まりでないでしょうか。すべてを知っているつもりで進むのではなく、自らの限界を認めながら、他者との関係や社会に対して誠実に向き合う。そのような選択は、今日ますます重要になっているのでしょう。
たとえば、権力ではなく誠実さを重んじるリーダー。既得権益よりも社会的貢献や責任を果たそうとする企業。そうした姿勢が知恵に結びついていることを示しているように思います。
《選び取る者としての悟り》
聖句の後半、「悪から遠ざかることが悟りである」という言葉も見逃せません。悟りとは、ただ理解することではなく、自分で選び取る力――そしてその選択が、倫理性や霊的洞察に裏打ちされていることを指しています。
現代社会には、利便性・効率・快楽・競争といった価値観が溢れています。それらに流されることなく、より深い真理を選び取る人――そんな姿勢が「悟り」なのでしょう。
たとえば、情報が溢れる現代社会の中で沈黙を選ぶ人。他者を貶める言葉が飛び交う中で、あえて優しさを語る人。そうした選び方こそが、悪から遠ざかる「悟りの人」の姿ではないでしょうか。
■「流される恐れ」が示すもの
現代社会において、私たちはしばしば「流される恐れ」に直面します。それは、以下のような形で現れるのではないでしょうか。
*日々の忙しさや誘惑に身を任せるうち、自分が何を大切にすべきかを見失い、 自らの選択ではなく環境や第三者やまやかしの意見に身を委ね、何をしているのか真実見失う恐れ。
* 利益損得や快楽の追求に慣れてしまうことで、心の奥に響く問いや「意味への感受性」が薄れてしまい、真実や真理に耳を傾ける内的余白が失われてしまう恐れ。
*競争や自己中心的な成功の価値観に偏ると、思いやりや尊厳よりも、正当化するために排除することに優位性や排他的成果を重視された、人間関係が表面的(常識、コミュニティ)になる恐れ。
* 利己的利益を重視するあまり、「正しいか」よりも「得になるか」で、判断してしまうように なり、利己的主義になってしまう恐れ。
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これらの恐れに向き合い、流されることなく選び取る力を養うことが、悟りの本質に近づく道なのではないでしょうか。
小さな光として生きる人々 ・・・・・・悟りを生きる人は、目立つとは限りません。むしろ、静かに、自分の場所で誠実さを貫く人々でしょう。
たとえば、
医療や福祉、ボランティアなどの現場で心をこめて寄り添う人。教育の現場で子どもに真心を持って向き合う人。企業内で、透明性や倫理を貫こうとする人など。
このような人たちは神のことばを知らなくても「知恵」と「悟り」に生きているといえるのではないでしょうか。
それは、成功や称賛ではなく、真実に根ざした人生を選ぶ方。
世の中の光になろうとする人々は、実はヨブ記が語る「悟りの人」であり、昔も、今も変わらない真実な姿そのものだと思うのです。
――――あなたの選びは、何に根ざしていますか?―――――――
・・・・・「主を恐れること、これが知恵であり、悪から遠ざかること、これが悟りである。」(ヨブ記28:28)
この言葉は、決して宗教者だけの言葉ではありません。現代の中で、誠実に生きるすべての人に響く真理です。
~~~あなたの選びは、どこから来ているのでしょうか。何に根ざし、何を求めているのでしょうか。~~~~~
その問いをこころに留めて、小さいところでも、光輝く者として生きることこそ、まことの栄光であると信じています。
旧約聖書で学び、新約を通して主イエス・キリストが実体として神と私たちの仲保者となられた唯一の方です。
「主イエスは、聖霊によっていつも生きておられ、私たちのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。」(へブル7:25)
一人でも多くの方が主の、導きに触れ、大きな愛を受け取ることが出来ますように。
神は愛なり。
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